2015年12月20日

メカファイター 2

SR-71ブラックバード、にそっくりな、人型ロボットに変形する架空のメカです。しかし変形ロボでもタカラのトランスフォーマーではなく、バンダイのマシンロボです。別にこのキットを作りたいから偵察機つながりでサン・テグジュペリを持ち出した訳ではないです。劇場公開中の星の王子さま、サン・テグジュペリ、偵察機、ブラックバード、と自然につながっただけです。

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何かと言い訳を探しては飛行機を作ります。で時々謎の迷宮に迷い込んだりします。帰れなくなった事はありませんが、それは自分で気付いていないだけで、本当は今も彷徨っているのかも知れません。迷宮どころか、出口の見えない泥沼を。

マシンロボやトランスフォーマーの来歴などは、詳しい人に聞いてください。どっちが先かとか何作作られたかとか、そう言う事は。何分こだわらない性質なので、各業界の細かい事情などには本当に疎いです。古いアニメ作品について、裏も表も矢鱈滅多に詳しいブログなどを見ると本当に驚かされます。よくあれだけ知ってる物だと。ウチさっぱりです。その意味ではこのブログには全く存在価値がありません。

再販は多分されてないと思います。色プラとかスナップフィットとか、バンダイが色々試行錯誤していた頃の製品です。このキットは単色ですが接着剤いらずのハメコミ式で、水転写デカールの代わりにシールが付いています。その辺りは比較的現在のバンダイ商品に近いかもしれません。ABSだかスチロール樹脂だかよく分からない実験的な素材であると言う点を除けば。
何だろうこの材質。一応接着剤も効きますし、箱の完成写真から塗料が乗る事も分かります。でも異様な粘りがあるし、削った時の臭いもいつもと違う。瞬着との相性は良いです。なので工作には瞬着を使います。それも強度最優先で、ボークスの剛着を。

このキットと言うか機体は、人型に変形するために、余計な部品を腹に抱えています。特に機体中央にロボット時の胸があって、逆三角形の体型を形成する為に強烈な厚みがあります。これが、高々度偵察機の極端に薄い胴体のシルエットを損ねていて、全く飛行機に見えなくしています。特にマッハ3で飛行する機体には見えません。
しかし、それが理由でこのプラモを批判するのは間違いです。本当に子供向けの商品ですから。作りやすさと遊び甲斐が、見てくれの精密さに優先します。価格も300円。低学年生が余裕で買える額に設定されています。大人がムキになって改造する様な代物ではないのです。

それをあえて改造します。この手の現用機のシルエットを持つ変形メカは、人型になった時よりも、変形前の姿の方がメインですから。売りは現物マシンのシルエットと、その現物マシンが変形して人型になる事であり、人型になってからのシルエットなど、ちょっとやそっとブサイクだろうが人体として破綻していようが、んなこたどうでもいいのです。
航空機に見える様にするには、その厚い胴体を薄くする工作が必要になります。犠牲にされた航空機としての外観を最優先にしつつ、且つ売りである変形は残します。

今更入手困難な古い模型の改造工作を解説した記事に果たして意味はあるのかしかも不人気だし


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今回も絶版キットの改造記事です。削り込みに入る前に、欠損していたエンジンナセルの先端のコーンを調達します。紛失した自分が悪いんですが、これを先に作っておかないと、胴体を切り刻む気になれません。後になって「やっぱ作れんかったわマジスマン」じゃあんまりですから。
エポパテの塊から削り出す事にしました。近い形に盛って硬化させたら、ろくろに固定して回転させてヤスります。上手く行きました。殆ど同じ形と大きさです。これさえ出来てしまえば思い切れます。削り込み開始です。

画像右上が下腕です。まず腕に付いている余計なブロックを切り落とします。残った腕の部分が他の各部の厚さの基準になります。開いた穴は後でふさぎます。可動部分のポリパーツ化はしません。そのまま行きます。しかし僅かに設計ミスがあった様で、細い上腕軸の位置のズレのせいで、機体背面に段差が出来ていました。軸位置を修正して背面をできるだけツライチにします。

次に太腿を限界まで薄くします。画像左下の左側が削った後です。形状的に単純なので頭は使いません。でも気は結構使います。基準になる部位なので水平と垂直を正確に出さないと、これにつながる大きな部品が全体のシルエットを損ねかねません。

続いて脛を腿に合わせて薄くします。一枚目の画像の変形途中状態の通り、ふとももに被さる形になっていて、機体背面の再外郭を形成する部分です。タイトに設計された変形モデルの各部品は互いの干渉が激しく、空間に余裕がないピーキーな作りになっている事が殆どで、このSR-71も制約がかなり厳しい部類でした。

最後に一番厄介な胴体。画像右下がそのワンピース部品で、デザイン的にはどうでもいい部分です。いっそ無くてもいいです。でも無いと固定できない部分もあるので渋々イヤイヤ作業します。上中下の三つに分割して位置を変更し、なるたけ腹面を真っ平らにします。

滑らかで抵抗の少ない胴体を目指すわけですが、各部を削り込んだら辻褄が合わなくなって飛行機としても変形ロボットとしても破綻した、なんて状況は避けねばなりません。どの部品のどこをどれくらい削るか、頭の中で何度もシミュレーションを行ってから、実際の作業に取りかかっています。
この手の作業で肝心な事は、どの部品のどの部分が、他の部品のどの部分に干渉しているかを正確に把握する事です。ある部品のある部分を削る事で周囲にどんな影響が出て、それを解消するにはどうすればいいかを、できるだけ事前に掴んでおく事が、全体の作業が滞りなく進むかどうかの鍵になります。勿論、できる事もあればできない事も多くあります。できない事の方が多いんです。

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このキットは概ね1/250で、1/144よりも縮尺が大きい分、各部の厚みは更にダイレクトにウソ臭さに直結します。なので全体の縁と言う縁を削ります。コアブースターの時と同様です。架空航空機に現実味と説得力を与える工程ですので、面倒臭がらずに丁寧に最後までやります。ノズルも当然削ります。

爪先に当たる部分がなぜか削られているので、エポパテで元の形に戻します。胴体中央尾部も尖り方が足りないので、やはりエポパテで伸ばして尖らせます。

詰めた部分。分かりやすくこれが、余計な体脂肪。

先ほど開けた腕の穴はプラ板で塞ぎました。胴体に開いた隙間にはジャンク箱からテキトーなのを持って来てテキトーに詰めました。胴体下部なんてどうでもいいし。


ロボット部分はカラフルな設定ですが、設定を無視した全身漆黒のボディにします。ブラックバードですから。全体を半艶の黒で一発吹きです。この半艶がいたく気に入りました。大変気に入りました。色っぽいです。なまめかしいです。大好きです。キャノピーとロボの目ん玉だけはツヤを変えてあります。一気に行ったんで写真殆どなし。記録するのを綺麗に失念していました。
デカールは余り物を掻き集めました。一応は現物を再現しますが、元々情報の少ない機体で、しかも小さいキットなので、大して数は必要ありません。特にアメ公マークなんて貼ってやる気は更々無いので探しません。いっそU.N.SPACYとか貼って地球連邦軍か統合軍にしようかなんて事も考えましたが、なんかやめました。国籍不明機で行きます。垂直尾翼にだけ余計なチョン……エンブレムを貼りました。付属のシールは存在すら忘れていました。しかし。
折角気に入った半艶の黒ですが、デカールをフラットクリアでコートしたらまったく意味ねーわ。と思ったんですが、度合いの近い半艶のクリアを作って極力デカールの部分だけをコートすると、なんとか元のなまめかしい半艶を維持できました、良かった。と言う事は、今回わざわざ買った半艶の黒は買わなくても良かったんじゃ……



完成、SR-71ブラックバードじゃなくてマシンロボのメカファイター。
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撮影時、気を使ってはいましたが、それでも埃だらけ。
写真の腕はご勘弁下さい。機材もある物を使ってるだけなんで。

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胴体の厚みを絞り込んで、SR-71に近付けてあります。

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それでも厚すぎますが、最初のマクロスのバルキリーくらいには、現用機っぽく見えると思います。

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扁平にした下面はかなりメカっぽいと言うか、ロボっぽいです。ロボット時に必要でも航空機形態時には不要な部品は、機体中央に集中しています。マクロスのVF-1も、胴体中央に余ったロボット部品をぶら下げる形のデザインです。

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機体後縁は角度を付けられず、翼が全体に正三角形みたいになっています。実機の後縁はくの字です。




破損覚悟で変形開始。
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腕を左右に引き出す。
腕を回転させて下へ逃がし、脚を引き出して伸ばし、足首を回転させる。
腕を伸ばして胴体を起こす。
機首を背面に回すと頭部がせり出してくる。

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削り込んだまな板胴体。もう二度と変形はさせないでしょう。そう言えば、手首がありません。元から付いていなかったんですが、何か仕込んでも良かったかも知れません。スペースは十分にありましたから、引き出し式に出来ます。後からでも何とかなりそうなので、気が向いたら何か仕込むかもしれません。

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本当にこのキット、組むだけ組んだ人はそこそこいるんじゃないかと思いますが、塗装までして仕上げた人は全国に一体何人くらいいるんでしょう……












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2015年12月17日

メカファイター 1

CGアニメ映画が公開中の星の王子さま。世界中にファンがいて、信者とも呼べるほどに熱狂的なフリークも数多くいる児童文学の金字塔。新機動戦記ガンダムウイングにも名前だけ登場します。

星の王子さまは、砂漠で墜落した「ぼく」が、星から来た「王子」と出合ってから別れるまでの一週間を描いたお話です。短い中で、子供の心や愛について深く考えさせられる美しいお話との事で、世界中で愛されています。作者のサン・テグジュペリが本当にパイロットで、二次大戦末期に機体ごと消息を絶った事も、この物語に神秘性を与えていて、人気の理由の一つになっている様です。

そんな世界的に親しまれている超名作をけなしたらどうなるでしょう。確実に袋叩きに会います。またはまるっきりバカにされて全く相手にされないかです。つまり、批判する事が許されないある種の空気が出来上がっていると言えます。そうです、あの恐るべき「批判を許さない空気」です。

サン・テグジュペリが現在のディズニーの様なゼニカネ団体でない事も、そんな空気の醸成に一役買っていると思われます。ディズニーやマクドナルドみたいにカネにまみれたコングロマリットなら、ある程度批判されて当然であると言う、これまた空気と言うか暗黙の了解がある様で、世間は大規模なビジネスを展開する企業集団に対しては厳しいのです。

しかし、同じ世界的有名キャラクターでも営利団体所属でない場合は神聖視されます。星の王子さまはその代表選手で、カネの臭いがしない「クリーン」な物に対する批判は許さない、批判する奴が悪いんだ、悪口を言う奴は心の汚い可哀想な奴だ、そんな感じに矢張り空気が出来上がっているのです。でもその割には、人を不幸にしてでも多く稼いだ奴は、世間的にはむしろ尊敬される様です。人の弱みに付け込む事をビジネスチャンスと呼んだりして。昔はアコギなカネ持ちより、品格のある人が尊敬されていたみたいですが、我が国でも。






星の王子さまをディスる。

一冊持ってます。どんな物かと自分で買って読みました。何とも薄気味悪かったと言うのが最初の感想です。あくまで個人的な主観である事は断っておきます。初めて読んだ時は随分若かったけど、一回読んでそれっきりだったので、改めて読み返してみました。するとのっけから全身に悪寒が走りました。そして、そのゾッとする感じに、ごまかし切れない偽りを感じました。

登場人物は基本的に「ぼく」と「王子」のただ二人で、この二人による砂漠で交わされた八日間の会話の回想劇の体で進行します。「ぼく」は自分の事を子供であると自称し、物語は一人称で綴られて行きますが、読者としてはあの一連の文章で「ぼく」を子供だとは思えませんでした。

読者は読み始めて間もなく、うわばみの絵を見せられます。「ぼく」に言わせると、大人はその絵を帽子だと言い、子供は一目でそれが象を呑み込んだうわばみだと分かるのだそうです。ここでもうげんなりします。本当に子供なら「うわばみってなにー」でしょう。鼻詰まらせてズルズル言わせながら。大体あの絵は大人が描いた絵です。直前のページの「すばらしい絵」と全く同じタッチですから。

本作には似た様な件が多々あります。このお話では「大人はこうである」、「子供はこうである」と言う、大人の視点からの主観的な定義が作られています。そしてその定義に沿って「子供である自分」を演出する事で、「子供のままでいたい」願望を読者に肯定する事を強要する、イタい大人のいやらしさが鼻を突きます。別の言い方をすれば「ボクかわいいでしょ」アピールです。




このウザさは何かに似ていると思いました。よく似た嫌悪感を感じた覚えがあります。それはすぐに思い当たりました。賛同と寄付をしつこく求めるボランティア団体やチャリティー番組等の同調圧力の鬱陶しさが、これによく似ています。弱者である事を笠に着て「カワイソウでしょカワイソウでしょ」と情に訴えカネを無心する厚かましさです。無垢である事と同様、弱者である事に対しては何人たりと抗えません。逆らい様の無い絶対の正義を錦の御旗に、軍靴の音も高らかに行進してくるそれは、言わばファシズムです。

音楽評論家の渋谷陽一氏が、かつてWE ARE THE WORLDが大ヒットした時にこのファシズムを感じ、全音楽シーンを敵に回して一人で叩き続けていた、と書かれた記事を読んだ事を思い出しました。アフリカの飢餓救済と言う、何者も絶対に逆らえない正義を盾にして、同意と金銭的援助を恐喝して来るあれは、確実にファシズムであると感じたのだそうです。
チャリティーで寄付や募金を求められた時、物凄く苛立ちを感じるのはそのせいだと思います。飢えた子供が、向けられたカメラをキラキラした瞳でよく分からずに見つめている写真を見せ付けられても募金を断ったら、まるで自分が悪魔か鬼みたいです。こっちだって毎日必死に生きているのに。まず自分が生きなきゃならないのに。何で日本人ですらない見も知らぬ外国の他人のガキの命なんか救わにゃならんのですか。十円でも一円でも、労働者は命削って稼いでるんです。それを無条件に寄越せと言う奴らは殴っていいと思います。

先天的に四肢を欠損した障害者の男がよくテレビに出ています。その男は自身が障害者である事を最大限利用して某かの利権を得て暮らしているとの事で、その点に関して批判を受ける事がしばしばですが、男はその度に批判を向けて来る相手に対して、オマエも障害者になれと言って逃げます。障害を非難されている訳ではない事を分かっていて、わざと論点をはぐらかすのです。
しかも、生まれた時から四肢が無い場合と、五体満足に生まれて生きてきた人間が突然身体的に甚大な被害を被る場合とでは、精神的な衝撃の度合いが桁外れに違う事を一切考慮していないその発言には、肉体的ハンデを持って生まれた己を特権階級であると考える捻じ曲がった倫理と、気付かぬフリをして相手を攻撃する卑劣な悪意が見て取れます。男のそれ以外のこれまでの発言もひどい物でした。

その障害者の男が行ったツィッターでの自作自演がバレました。
http://hosyusokuhou.jp/archives/46294837.html?1450161632
ツィッター、自演炎上商法、テレビ、利権、朝鮮話法と、なんだかつい最近大阪を追放された元河原乞食市長にそっくりです。
弱者である事を隠れ蓑に利用して、絶対に批判を許さない空気を作ってその中で利権を貪り、被害者振りながらラクして生きようとする姿勢には虫唾が走ります。かなりの金額が何もせずに転がり込んでいるとも聞きます。「カワイソウ」な障害者が弱者ぶるのは余程オイシイ様で。そしてまた、「カワイイ」子供のフリをする大人も、遠からず同様でしょう。

「かわいい」と言う感情の源泉は優越感です。絶対的優位に立った者が、無防備で無抵抗な弱者に対し、同情して抱く感情が「カワイイ」です。誰も自力で生きていく強い大きな動物をわいいとは感じません。実際小さい子供は多くの大人がほぼ無条件に庇護してくれます。特にかわいい子供はかわいがられます。DIRE STRAITSのMONEY FOR NOTHING「何もしなくてもカネになる」じゃありませんけど、かわいいは正義とはよく言ったものです。

ラクして生きたいのか、ただ単に無垢でいたいだけか、動機はどうでも作中の発言から判断すると「ぼく」は「子供でいたがっている大人」です。また構図から判断するに、王子はその子供ぶる「ぼく」を子供に見せかける為に作られた「大人が考えた典型的且つ理想的な子供」と言えそうです。ぼくも王子も、自身をはっきりと子供だと言います。しかし自分が子供であると自覚しているなら、それはもう子供ではないでしょう。

或いはひょっとしてギャグでやっているのかとも思いました。大人は帽子と言い子供はうわばみと言うあれは痛烈なアイロニーで、皮肉と侮辱の区別が付けられずにアラーを侮辱してイスラム過激派のフリをしたウォール街の傭兵に襲撃されるフランス人の一人である、作家サン・テグジュペリ一流の皮肉なのかも知れないと。しかし読む限りにおいて、そうは思えませんでした。




その後のお話で、王子が地球に来るまでの間に出会った数名の「大人」達の事が語られます。彼らは一様に孤独で、自分だけの狭い世界に閉じ篭っています。そして何かに取り憑かれた様に算盤をはじいたり、声も手も届かない遠いどこかにいる誰かに命令して威張ったりしています。
それらはもちろん現実のカリカチュアで、本当にその通りの「大人」はまずいないでしょう。しかしそのカリカチュアやデフォルメには、相手を一方的に身勝手なイメージの型にはめて決め付けてかかり、自分が用意する枠に押し込める事で相手を自身に対立する原理的な存在として強調し、それによって自分が「大人」ではなく子供なのだと殊更痛々しい主張をゴリ押す、汚れた大人のあざとい見苦しさを感じます。

一方、子供を代表でもしているかの様に描かれる王子は、よく分からない持論を展開します。王子が口にする、夢でも見ているみたいな論理的整合性の無い台詞にはイライラさせられます。またそれが終始ひっきりなしに展開されるので、読んでいる方はその、いかにも自分は子供である、君も子供ならぼくの言葉が分かる筈だと今にも言わんばかりの薄気味悪さや、身勝手な理屈のあまりの分からなさ加減にもう辟易してしまって、退屈で眠気が襲って来るのです。実際読みながらウトウトしてました。

このお話に登場する「子供」は二人だけです。つまりこの本に本当の子供はいません。安物のテレビドラマに出てくる「子供」の台詞に、言い様の無い気持ち悪さや、全身の毛が逆立つ様な違和感を感じた事はないでしょうか。脚本家が頭をひねって考えるんだと思いますが、子供のキャラクターを子供らしく演出しようとして言わせている、わざとらしく子供らしい台詞にはそう言う寒気がする事がよくあります。
「僕は子供なんだよ」「僕は子供なんだよ」「僕は子供なんだよ」と必死に主張するそれら「子供」の台詞に感じるのは、子供らしさではなく「子供はこうあって欲しい」と言う大人の虚しい願望です。中には子供の描き方が物凄く上手な作家もいますが、なぜか大抵はダメな脚本になっています。そしてそれらは一様にとても不快です。脚本家が書いたいびつな子供像も不快ですが、子供である事を強調して演じる子役もどつきたくなります。「少年の心を失わない大人」のフリをするいやらしい不潔な大人を目の前にした時と同じくらいに。




童話、児童文学で子供の描写と言えば、個人的に真っ先に思い出すのは宮沢賢治です。今ここで引き合いに出すのもどうかとは思うんですが、あの硬質で透明な銀河世界は、純粋な少年の心が無ければ描けません。宮沢賢治は子供です。あの人は子供だと思います。孤独で傷付いて生きている少年のまま大人になった人。宮沢賢治の作品はどれも本当に美しく、厳しく、残酷です。あの胸を貫く様な青く輝く冷徹なまでの純粋さこそ、作者の少年の証だと思います。

「星の王子さま」は、綺麗な物だけを描こうとした為に、かえって醜さを感じさせる結果になっているのではないかと思いました。無垢な物や清純な物への過ぎた憧憬は、今時の言い方をすれば「あざとい」のです。昔の言い方なら「ブリッ子」になります。
逆に、大人にとっての理想化された子供しか出てこないから、大人が読んだ時に美しいと感じるのかとも考えました。「自分がかつて子供だった事を忘れた大人」達は、汚れちまった悲しみから目を逸らしたがるが故に、子供向けに作られたやたら甘ったるいだけの砂糖菓子の様な偽りの無邪気さに、無条件に憧れるのかも知れません。それが本物の砂糖すら使わない、危険な合成甘味料で作ったグローバル商品だったとしても。

石平さんが言ってましたが、日本の絵本の中には、最後に狼と羊が一緒に笑顔で踊っている物があるそうです。描いたのがバカフェミか売国反日日本人かは分かりませんが、さすがにそれには笑いました。そんなあからさまな嘘っぱちでも、独善的で利己的な大人達は追い求める物なんでしょうか。身の毛もよだつ身勝手な理想を、汚れちまった悲しみから目を逸らそうとして。それとも単に偏差値28のノータリンバカ左翼とか?
狼は誇り高い平和主義者ですが、やっぱり肉食獣です。仮に羊が肉食獣だったとしても、一緒にいてそのままなら、いずれ必ず殺し合いになります。もちろん、互いが一日でも生き延びる為に。




星の王子さまに関する批判が許されない空気は、世界中に漂ってありますが、ウチのブログは基本的に空気は読みません。正しいと判断できる場合は空気でもなんでも利用するかもしれませんが、自己の感覚や主張に反する「空気」が醸成されているのであれば、心の底から納得行かない限り無視します。

星の王子さまは僕には駄目でした。イタい大人がゴリ押して来るあざとさや、気持ち悪いわざとらしさを無視する事も飲み込む事も出来ませんでした。あの話の何が美しいのか僕には分かりません。世界中で愛されている星の王子さまは、僕には心が冷えるだけでした。あと、僕が持っている岩波少年文庫版の訳者に言っておきます。
絵描きを日々の仕事にしている手合いで悪かったな。貴様は素人かガキの落書きにでもカネ払ってろ。







毎年十二月になるとケンタッキーのキレイなCMが流れます。そのケンタッキーのCMは美しく幸せなイメージで溢れています。僅か15秒のスポットには、家族とか、温もりとか、愛情とか、幸せとかが満ちていて、そこに鶏のモモ肉の唐揚が意味も無く存在しているのです。CMの中のあの鶏は勿論「幸せ」そのものであり、リボンの装飾でラッピングされた紅白のおめでたいバケツに入っています。

ケンタッキーが世界中で売りまくる大量の唐揚を生産、供給し続けるには当然、食肉加工工場が必要です。有体に言って屠殺場です。スローターハウスです。自殺するには世界で二番目か三番目くらいに相応しい場所です。大量の鶏が高速で回るコンベアに乗せられ、電動ノコギリで次々首を切られて行きます。バラバラに分解された、かつて鶏だった余り部品が大量に処分される唐揚工場は血しぶきが絶えることなく、床も壁も血まみれで羽と肉片だらけ、鳩を食いちぎる事で有名なオジーも真っ青、それがケンタッキーです。
クリスマスは今年もやって来ます。今年も綾瀬はるかと竹内まりやですか? バケットヘッドが頭に被ってるバケツ持った子供達が、訓練された笑顔で楽しそうに踊って。あのCMもたまには食肉工場の映像を流してもいいんじゃないでしょうか。普段あなた方が買ってくださっている唐揚はこうやって作っていますよと。

竹内まりやとは対極のジャンルにいる、一見コワいハードロックボーカリストであるグラハム・ボネットは、ロッカーらしくなくレザーを着ません。革靴も履きません。お洒落用の靴はエナメルです。皮物は一切身に着けません。ハードロッカーなのにレザーを着ないせいか、ヤクザみたいとか、青筋ボーカルとか、顔がコワいとか、横山やすしとか、主に見た目が理由で散々言われるグラハムは、若い頃に屠殺場で働いていたそうです。

少年とは、きっとグラハム・ボネットみたいな人の事です。





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ロッキードP38ライトニング
買った時、この機体が星の王子さまの作者の搭乗機だと聞いていました。そしてこのキットがチョン製である事を最近知って売り飛ばしました。タダ同然でしたが、捨てる気だったのでそれで十分です。しかしむしろこの世から消すべきだったかもしれません。買った他の誰かが不幸になるよりは。

サン・テグジュペリが最後に乗っていたのは、正確にはロッキードP38ライトニングではなく、P38を改造した偵察機F5Bです。シルエットはほぼ同じで、素人目には区別が付かない同型機ですが、F5Bは戦闘機じゃねーんだよ偵察機なんだよ、と強調する人がいます。銃を積んでいなかったとか、人殺しの道具なんかじゃないとか。P38は山本五十六司令を殺害した機体ですから、日本人なら尚の事でしょうか。

作中の「ぼく」が乗っていたのがどういう素性の機体かは、記述が無いので分かりません。作者同様に軍の偵察機かもしれませんし、郵便配達機かも知れません。まああれだけキレイなものばかり並べたお伽噺に戦争の道具は登場しないでしょう。しかし砂漠に墜落したのが仮に作者の乗機と同じに偵察機だったとして、同じ偵察機でも低空を低速で飛ぶ軽量のレシプロ機ではなく、高々度をマッハ3でぶっ飛ぶSR-71だったとしたら、「ぼく」は即死だったと思います。

SR-71は戦闘機として開発されましたが、諸々の事情から偵察機になりました。戦闘機から改造された偵察機と言う点はF5Bと同じです。星の王子さまが好きでサン・テグジュペリが好きな人ならきっと気に入るでしょう。

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これはSR-71ではなく、メカファイターだけど。













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