2013年08月17日

RV083

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国防系社会派風刺四コマ漫画リアルバカチョン第83話。
RV083
「家族の肖像onTV」


「幸せって何だっけ何だっけ…」
このあと何が続きますか?
「旨い醤油のあるうちさ」は2009バージョンのキッコーマンのCM。
「ポン酢醤油のあるうちさ」が1986年の同社CM。
http://www.youtube.com/watch?v=K4Cw-HANVX4
しかしこれには元歌があります。その元歌では
「盆と正月あるうちさ」となっていたのです。

キッコーマン醤油明石屋さんまの元歌の曲名、歌手名、作詞者名、作曲者名、聞いた話で実は全部知らないんですが、ご存知の方はご一報下さると僕が幸いです。


かつて日本では、盆と正月は家族と親戚が揃う長期休暇でした。家族があってしっかりとつながっていて、都会へ出稼ぎに行っている者に帰る家と田舎がある事が「幸せ」だったのですが、折りしもバブル期の直前、時代の空気を読む事にかけては天才的なお笑い芸人が「盆と正月」を「ポン酢醤油」に置き換えて歌いました。この替え歌の詞を考えたのは明石屋さんまではなく広告代理店のスタッフでしょうが、あえて歌の下手なさんまに歌わせ躍らせる事で強い印象を持たせる事に成功しています。

このCMソングで重要なのは、「盆と正月」に揃う家族があると言う日本人の幸せが、カネで買える物質的な「ポン酢醤油」と言う商品に置き換えられた事です。
歌で言うなら例えば昭和の演歌は、東京へ出稼ぎに出た東北出身者が故郷を思って懐かしみ、女房子供に会いたい、家へ帰りたい、と歌う物が殆どでした。勿論それがすべてではありませんが、それらの演歌は主に、暮れになったら稼ぎと土産を持って恋しい家族が待っている田舎へ帰る、と言うある種の定型となっていた日本人の幸せの形を表現していたものです。

その後、高度経済成長期を経て核家族化が進んだ日本の家庭は故郷を失い、事実上の離散状態に陥りました。何が原因と言う事ではなく、自然な時の流れがそうさせたのだと言うのが正しいと思います。経済的にある程度まで潤い、少なくとも食うに困らない程度に成熟した社会では、煩わしく七面倒臭い人間関係が溢れ返る大所帯の家族は必要とはされないものだからです。
実際に日本が辿った七十年代を精査すれば又違った可能性が見えてくるとは思いますが、今の所個人的にこの結論です。

家族と田舎を失った日本人に提示されたのが、このCMに代弁される様に、カネで買えるインスタントな幸せでした。「我が社のおいしい商品を買ってください、幸せでしょう?」とTVが歌い、多くの国民が「ああ、幸せかもしれない」とその商品を購入する。大都会で消費される事を前提とした商品が大量生産され、購入され、消費されていく時代に入り、血縁間のつながりが希薄になって行き始めていた頃、バブル時代が到来します。

日本人が再度家族を意識するようになったのは、勘違いサラリーマン達が大はしゃぎして浮かれ狂っていたバブルの崩壊から数年後の、阪神淡路大震災でした。この時家族と言う関係性を思い出せた日本人はまだ幸運な方だったのかもしれません。日本はその後の橋龍政権の歴史的大失策によって15年も続くデフレに突入します。

バブルクラッシュとデフレによって収入が激減したトンチキ会社員達が自分達の家の中に、震災でも思い出せなかった家族と言う漠然とした人間関係をやっと思い出した頃、僕は「カネカネ言ってたアホ共が、カネがなくなったら結局家族に甘えんのかよ」と笑いました。必ずしも自分の努力で得た訳ではないカネがある時は「カネカネ」、良い暮らしが出来なくなった途端に「おがあぢゃーん」と、己の中に何の指標も持たないが故に時代に振り回され、その場その場で行き当たりばったりの方向転換を繰り返すだけの不様な日本人の姿を見て、やり切れない思いが虚しく湧いたのです。日本の二十一世紀の幕開けはそんな感じでした。ここで大事なのは、当時の時点で50年に渡る反日自虐洗脳を強要され続けていた我々日本人が、思い出すべき家族の頂点たる天皇陛下を思い出せなかった事です。そのため、要を失い家庭内に何となく漂う漠然とした関係性にまで堕した「家族」と言う概念はとっくに求心力を失っていて、折角思い出されたにも拘らず、すぐに飽きられました。

しかしこの後更に厄介な事が起こりました。何とか形だけでも家族と言う関係性を一時的にでも取り戻すかに見えた日本人が、再びカネカネ言い始めたのです。

ライブドアのブタが現れたのが2004年頃です。その頃のTV番組が矢鱈とカネにまつわる言葉を多用し出していました。「セレブ」とか、「勝ち組負け組」とか、「底辺」、「ヒルズ族」、「ワープア」、「格差」など様々な金銭絡みの流行語が作られたのがこの頃です。ウジテレビがほぼ丸ごと朝鮮資本に乗っ取られた頃。
プロ野球界の再編がドタバタしていた時、ITで一山当てただけの見苦しいデブが左団扇に肩で風切ってTVに登場しました。このメタボ野郎に追従した日本人は、バブルに浮かれて好き放題やってた連中よりも始末に終えませんでした。バブルクラッシュと大震災とデフレを経験しながら、それでも尚「人間の心なんてお金で買えるんですよ」と平然と、しかも本気で言ってのけるバブルバカを時代の寵児と持ち上げ、そのブタの汚いケツに付いて行こうなどとなぜ思えたのか、今でも理解できません。

結局あのアホパンダは悪事を暴かれ、逮捕投獄され、刑期を終えて今に至る訳ですが、全く何の反省もせずに出てきてしまった様です。恥知らずのバカモノを本当に反省させるにはあと十年くらいぶち込んでおく必要があったんじゃないかと思います。

ホリエモンがゼンカモンに変身したそのあと、さんまはやっぱりTVに出て
「幸せって何だっけ何だっけ 旨い醤油のあるうちさ」と歌いました。
幸せとは家族ではなく商品があるうちで、「うち」とは「内」なのか「家」なのか。
物品がある間だけは幸せだと言っているのか、モノがある家が幸せなのか。
少なくとも家族がある家を幸せとは言っていない様です。


阪神淡路大震災と東日本大震災、尖閣事件と民主党、それらが日本の状況を白日の下に晒し、我々国民が命に代えても守らねばならないものが何かを日本人ははっきりと認識しました。払った代償は高過ぎましたが、それは七十年分貯まりに貯まった、いずれは払わねばならない対価でした。七十年は、情報の伝達方が革命的に変化を起すまでにかかった時間です。そしてこれ以上かかっていては正確な情報が失われ、日本の再興は事実上不可能になっていたかもしれません。日本人が何を望み、何を拒むのか。

日本人は日本を家族の様な国として存続させたい。
それははっきりしたと思います。
ではその家族とはどんな姿でしょうか。
何をもって家族となるんでしょう。

きっと神社に放火したり仏像を盗んだり、日本人は全員殺すと言って商店街で殺人事件を起こしたりする奴らでは無いと思います。








戦後から70年代くらいまでを描いたサザエさん。
家族は二世帯が通常であり、父親の威厳は絶対で、食事は家族が揃って居間でとっていました。家族の構成人数は多く、三人以上の兄弟が当たり前の時代ですが、戦前は五人兄弟くらいでも普通でした。家族が多くいる事はそれだけで幸せであると、素朴に認識されていた様です。それは今でもきっと同じだと思いたいです。物珍しげにTV番組で見世物にされる大家族の様な事ではなく。
サザエさんは戦後すぐに連載が始まっていますので、原作中には「配給」とか「闇市」などの戦後用語が登場します。当然当時の日本の生活様式や国民性が描かれており、現代の日本人のライフスタイルや戦後七十年弱の間に日本が失った大切な物のあまりの大きさに愕然とします。
(平成に入ってアニメ放送が開始されたちびまる子ちゃんは、作風としてはサザエさんと同質とみなし、同列に扱います)


高度成長から80年代いっぱいくらいまでを描いたドラえもん。
都会の核家族が一戸建ての家に住み、自家用車を所有し、祖父母に取って代わった物質的、経済的価値の象徴たる機械が家庭内に入り込んでいる。モノに頼った幸せを即物的に実現する機械であるドラえもんは科学技術の象徴でもあり、人々は科学が作り出す未来に漠然とした期待を持っていた事が、毎回登場するSF便利道具に表れています。
のび太は兄弟がおらず、個室を与えられており、父親の登場頻度がサザエさんに比べて極端に減ります。父親の存在感の希薄化と同時に、母親が当時流行った「教育ママ」として子供の日常に干渉し始め、ある特定の方向へ向けて凶暴化を見せます。


バブル期から90年代くらいまでを描いたクレヨンしんちゃん。
現在でこそ広く受け入れられていますが、登場時は相当な問題作でした。家族の構成人数は僅かに増えますが、母親は「みさえ」と呼び捨てられ、子供とどつき合う始末。(とは言うものの、原作初期のサザエさんでは船さんがカツオや波平さんと取っ組み合いの喧嘩をしてたりして結構ワイルドですが)父親に至っては威厳など欠片も残っちゃいません。何より連載当初は父親ひろしが35才で出世が遅いと言うのが風刺的なネタだった筈ですが、今となってはあれですら勝ち組となるまでに、日本の経済は主として売国日銀貴族共のせいで衰退しました。
この手のマンガでは、子供の数が一人より下回っては子供向けマンガとして成立しませんので、子供は最低でも一人登場します。兄弟が一人いればお話にも会話にも変化が生まれますので、子供が二人出れば彩りが増え、家族構成としても最低限のバランスが取れます。子供は最低二人作らないと人口が減ります。
色々問題だらけの野原家ですが、彼らの日常を見る限り、幸せには違いないと感じます。劇場版でも言われていた通り、野原家に不幸は似合いません。


今回は取り上げませんでしたが、デフレ下の日本のある種象徴的な家族像としてケロロ軍曹があります。
日向家の父親は本編には殆ど登場しません。後姿やモザイクで隠された姿でのみ、僅かに描かれる程度です。原作漫画では「家を購入した時点で消息不明」との事です。アニメ最終話357話のラストでやっと登場しますが、まるで家族という体裁を取り繕うためだけに申し訳程度登場させたと言う体で、ケロロ軍曹と言う物語には全く必要とされていません。一切関わって来ないのです。
この作品で、とうとう日本の家庭には父親は不要とされてしまいました。ある種の決定打だったと思います。登場する子供は姉弟の二人ですが、家族の構成人数は通常母親を含めた三名。
原作者は女性の様ですが、何を思って父親の存在をわざと無視したのでしょうか。
ケロロ軍曹のアニメは七年間続いた長寿作品ですが、前の三作と違い、放送を終了しています。


デフレ下の日本を嘲笑うハゲのCM。
問題はコイツだ。最早日本の家族の姿など影も形も無く、日本を代表する女優が扮する象徴的な日本の母の旦那が犬。長男は芸能人か何か知りませんがどこのどいつとも分からない黒人で、長女は人気の美人アイドル。詰り日本人の男がいません。いないばかりか日本の父親を犬に例えると言う、朝鮮人最悪の侮辱を毎日毎日日本のTVで垂れ流し続けています。陰で舌出して日本人を笑いながら。
所詮朝鮮人なんてこんなものです。やって良い事と悪い事の区別を付けられないほどに人間性が幼稚で独善的で、高過ぎる理想とひど過ぎる現実の己の姿の区別も付けられないまでに脳が遺伝的に欠損しています。
又どこかの神社が放火されましたね。寺社仏閣に火を放つ怖いもの知らずのアホは朝鮮人くらいなものです。靖国の池に放尿するわ富士山で脱糞するわ、日本人を殺害し続けるわ。奴らの罪は殺しても足りません。朝鮮半島は一兆四千億℃くらいまで上昇してシナ人も巻き込んで絶滅すべきです。

自力で死ねないなら一言殺してくださいとお願いしろチョン共。
縄ぐらい買ってやる。
何があっても許さん。チョン共は一匹残らずこの地上と歴史と記録と記憶から消してやる。
日本人を羨む必要のない世界へまとめて送ってやるから土下座して感謝しろ下等生物共め。


世界一温厚な日本人をここまでマジ切れさせたクズは朝鮮人だけです。
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posted by 跡間シノブ at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 四コマ漫画 RV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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