2013年08月15日

RV082

RV081.jpg
国防系社会派風刺四コマ漫画リアルバカチョン第82話。
RV082
「敗戦の非」

昭和天皇が発せられたのは「終戦の詔勅」です。「敗戦の詔勅」では断じてありません。
大東亜戦争は昭和天皇が「終わらせる」と宣言されたから終わったのです。「負けた」から終わったのではないのです。

ある年を境に、日本の大手カスゴミが一斉に、終戦記念日に「敗戦の日」と言う様になりました。それまで終戦記念日で通してきて何も不都合のなかった物をいきなり、全く藪から棒に「敗戦の日」と言い換え始めました。誰が最初だったかは分かりませんが、その後はテレビの司会者やラジオのパーソナリティを始めとして自称識者や名前も知らない有名人達が、前に習えで堰を切り、先を争って「敗戦敗戦敗戦敗戦」と鳴き出しました。

まるで負け犬の烙印を全日本国民に押そうとでもするかの様に。

それがいつだったか覚えておいででしょうか。
僕ははっきり覚えています。
1989年。昭和が終わった年です。

昭和の時代、大東亜戦争終結の日は誰が何と言おうが「終戦記念日」でした。負けた事をめそめそ悔やむ日ではなく、戦争と言う状況が終わった事を感謝し、失われた魂を悼む日でした。しかし昭和が終わった途端、主にテレビは終戦記念日を「敗戦記念日」に書き換えようとでもするかの様に、「終戦」を「敗戦」と置き換えて呼ぶ様になって行きました。

日本は戦争に負けたと、自分で戦ってもいない戦争の敗北をいきなり背負わされたように不快だったためにはっきり覚えています。なぜこいつらは自分達に負け犬のレッテルを張りたがるんだろうと言う極々当たり前の疑問と共に、他人に勝手に負け犬にされた猛烈な不快感を、その時の僕はカスゴミに対して感じました。そして「敗戦」はイヤでしたから、一度も自分から口にした事はありません。なんでわざわざ自分で自分の頭を押さえ付けられる様な真似をするものかと。


「敗戦」と言う言葉を聞かされた時、無条件に自分の頭を押さえ付けられる様な不快な圧迫感を感じませんか。僕は感じます。まるで「お前は負け犬だ」と屈服させられる様な理不尽な屈辱感を。それも自分では戦っていない戦争に関して。

現在の日本に敗戦国民はそう多くはありません。大半が戦争を知らない世代です。にも拘らず敗戦と言い換えたのはなぜでしょう。
なぜ戦争が終わった事をただ感謝する「終戦記念日」を、国民の大半が戦ってもいない戦争の敗北を押し付けられる事を厭が応にも思い知らされる「敗戦の日」と、カスゴミ主導で言い換えるようになったんでしょう。昭和の終わりとちょうど同時に。

今、はっきりと分かります。
昭和が終わる事で日本人の心の中から負け犬根性が消えてしまう事を恐れ、妨害しようとした者達がいたからです。それが何者かは言うまでもないと思います。そうです、今、頭に浮かんだそれらです。
日本がいつまでも敗戦国のままであり続けた方が何かと都合のいい連中が、日本のカスゴミを利用して「敗戦」と言う日本語を繰り返し繰り返ししつこくしつこく発し続ける事で、日本人から失われつつあった負け犬根性を再度刷り込もうとしたんです。

その作戦は見事に成功しました。
二十五年間の長きに渡る洗脳工作の結果、今や敵のスパイや売国奴だけでなく、保守派の知識人や論客達までもが大東亜戦争の「終戦」を「敗戦」と自虐的に呼び換えてしまっています。「自虐史観から脱しよう」と声高に叫んでいる保守派の大半がです。「終戦の詔勅」なのに。もう笑いを通り越し、情けなく、一回りしてまた笑うしかない状況です。

日本が犯した過ちは二つだけ、大東亜戦争に敗北した事と負け犬根性に浸り過ぎた事です。


戦争に敗北するに至った原因は日本の中にも当然あり、それを自戒するためにわざと自らを「敗者」呼ぶ事で自身を厳しく律する、それは理解できます。憲法学者や国防担当者が己を律するために、自分の内で「敗戦」と言う言葉を使うのならそれでいいでしょう。己一人の範囲内で自分だけが一人の時にだけ使うのであれば何も問題ありませんし、止めもしません。そんな資格は僕にはありません。
しかし、公の場で国民に向かって話す時に、大半の国民に負け犬根性を押し付ける「敗戦」と言う言葉は使うべきではありません。特に有識者や論客と呼ばれる人々は。国民の多くは気分で流されやすい物です。景気や株価が国民の気分で上下する事からもそれが分かります。そこへ無条件に頭を押さえ付けられる様な自虐用語をわざわざ、専門家と呼ばれる地位にいる人達がメディアを通じて使ってしまっては、それを耳にした国民の、明るい未来を作ろうとする前向きな向上心や勤労意欲を無下に削ぐ結果につながる事は明白なのです。

国民が負け犬のレッテルをわざわざ自分自身に貼って、それで元気が湧きますか?
「俺は負け犬だ。これからは誇りを持って生きよう。負け犬だから」・・・?
負けてすらいないのに?
これでは働く意欲もろくろく湧かない所かテンションガン下がりです。

しかも今我々が相手にしているのは恥も誇りも正義もない国ばかりです。間違っても自分達の過ちを認めようとしない傲岸不遜な連中です。彼らは「原爆を使用したのは間違いだった。日本に心から謝罪し、できる限りの賠償と保証をする」なんて言いましたか。彼らに日本人の考え方は一切通用しません。アジアの黄色い猿に敬意を払うなどと、甘い考えは決して持ってはならない相手なのです。
その様な者達を相手にしなければならないのですから、日本人は今後は、必要のないレベルでの自戒はやめましょう。反省や悔恨や自戒や自律は、必要な時に必要なだけすればそれでいいのです。不必要な分は頼まなくても敵がやってくれます。まして国家的にポジティブなマインドが欲しい今この時期に、国民の意識に自ら蓋をする様な自虐的な言葉を使う事は極力避けるのが得策なのです。





「敗戦の日」と言う言葉を絶滅させる運動を始めましょう。
あれは日本人に負け犬根性を植え付け続ける為の呪いです。

呪いも毒も、本当に怖いものはゆっくり効いて行きます。
二十五年かけて、敗戦の呪いは日本の全身に回りました。
バブル崩壊後ずっと続いた不景気は、失政だけが原因ではない筈です。。
あと二十五年効き続けたら、日本はどうなるでしょうか。


「敗戦」という言葉を捨てましょう。
せめて公の場で使うのはやめましょう。
我が国が負け犬根性と永遠にオサラバするために。
昭和天皇が発せられたのは「終戦の詔勅」です。間違っても「敗戦の詔勅」では断じてありません。
大東亜戦争は昭和天皇が「終わらせる」と宣言されたから終わったのです。「負けた」から終わったのではないのです。

詔勅の御名を下々が勝手に変更するのは不敬に当たります。
理由はそのただ一点のみで十二分です。
「敗戦の日」と言う自虐呼称を捨てましょう。

【関連する記事】
posted by 跡間シノブ at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 四コマ漫画 RV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック